Beef CREATOR

2022.12.21
ビーフキングダム~王者の視点~

意識改革と再建のキングダム【前編|誕生のストーリー】|株式会社物語コーポレーション 代表取締役 専務執行役員 岡田雅道氏

外食産業で働く人たちの夢「立身出世」の実現者。アルバイトから正社員に、外食産業へと身を投じ、業態開発の成功と挫折、再生を積み重ね、国内608店舗、グループ売上高(以下、「売上高」)1085億円(2022年6月期)の株式会社物語コーポレーション代表取締役専務執行役員に駆け昇る。また、同社アジア地域統括の100% 子会社 Storyteller 株式会社では代表取締役社⾧をも兼任。国内 290店舗を突破した「焼肉きんぐ」、そして物語上海での苦節と成功の経験を引き下げ、日式焼肉ブランド「焼肉専門店肉源 焼肉王」は中国での覇権を狙う。従業員の意識改革を得意とし、業界屈指の“再建家として”突き進む岡田雅道専務の情熱のバックグラウンド、そして快進撃が続く物語コーポレーションの焼肉業界における展望に迫る!

意識改革と再建のキングダム【前編】では、岡田雅道専務がどのようなキャリアを経て頭角を現してこられたのか?意識改革と再建のキングダム誕生のストーリーをフィーチャー。外食産業に身を投じたきっかけから、どのような経験と視点を経て、売上高1000億円上場企業の代表取締役専務執行役員に駆け昇られていくのか?をBEEF CREATOR編集部と『ビーフキングダム-王者の視点-』ナビゲーター永尾まりやがクローズアップします。

立身出世の疾風伝、夢はレーサーから板前に

豊臣秀吉のような立身出世のストーリーって!?そんなカッコいいもんじゃないですよ!ひたすら“泥臭い”ことを積み重ねてきた。それだけですから!

売上高1000億円、上場企業の代表取締役専務執行役員が、照れながら純真無垢に笑う。その笑い声と表情が取材スタッフの緊張を解き放ち、一瞬で場の雰囲気を明るくする。取材ライター、タレント、カメラマンの誰もが「とても偉い立場なのに、気さくで素敵な方だな、よし絶対にいいインタビューにするぞ!」と、その心構えにプラスの影響をもたらす。

岡田専務はまさに人のヤル気と能力を引き出す天才だ。天才という言葉をご本人が謙遜されるのであれば、その才覚に至るまでに想像もできないほどの“泥臭い”努力と経験があったに違いない。

岡田雅道氏は愛知県豊橋市で生まれ育った。青春時代はオートバイレースに魅了されたという。高校卒業後、昼は建設会社に就職。夜もアルバイトをしながら、レース資金を貯めるという毎日を送っていた。鈴鹿サーキットなど本格コースを走るほどの没頭ぶりだったが、稼がないとレースは続けられなかったため昼夜働き続けていた。

―永尾まりや:外食産業にたずさわられたきっかけは、いつ頃でいらっしゃいますか?

―岡田専務:きっかけは高校生時代に物語コーポレーションの「しゃぶ&海鮮 源氏総本店(現:しゃぶとかに 源氏総本店)」にアルバイトとして、入社したことです。高校を卒業して就職後も副業で同じ店舗でアルバイトを継続させてもらっていました。

その後、アルバイト目線で「板前という職業って格好いいな」と感じていた19歳の時に当時の上司である料理長が独立してお店を開業するということで誘われて、そのタイミングで建設会社と源氏総本店を退職し、正式に飲食店勤務を本業として働くことを決断しました。

そこからはオートバイレースからも距離を置いて、板前一本の道のりがスタート。
しかし、独立店での板前修行はアルバイト目線で見ていた憧れが崩壊し、打ちのめされるほどの険しい道だった。新規独立店なので、既存のルールがあるはずもなく、試行錯誤の連続、とにかく仕事量が多かった。働いて、働いて、たまの休日は泥のように寝て、なんとか働き抜いた4年間の耐久レース。

そして、板前として「個」の意識と自信が芽生えたころ、地元豊橋で1番の有名高級和食店であり、物語コーポレーションが経営していた「魚貝三昧 げん屋」でさらに修行をし、ノウハウを学んで、いずれは自分で独立しようとの考えに至っていくのだった。

店が存続できるかできないか?命運が私の仕事に託される!?

―永尾まりや:そして、再びアルバイト時代にお世話になった物語コーポレーションへ入社されるのですね。

―岡田専務:25歳の時に「源氏総本店」に舞い戻り、正社員として入社しました。

いずれ「魚貝三昧 げん屋」に配属されて、半年くらい働いたら、辞めて独立しようと考えていた。板前の目線で、どんな料理を、どんな器で出して、どのように提供して…を知りたいという事だけが入社の動機だったと、開け広げに語ってくださった岡田専務。しかし、本人の板前としての野心と意思とは関係なく、そのキャリアは異なる方向へ導かれていく。

―岡田専務:当時の店舗は、店長>料理長>副店長>主任という役職の序列で、私は主任という位置だったのですが、あるときに店長から「正社員として再就職したからには、上の役職の業務を全部覚える意気込みで仕事をしてほしい」と言われ、言われるがまま、板前以外の業務に着手することになりました。

まったく触ったことのないパソコンを先輩から教わることとなり、従業員のシフト管理と人件費管理、メニューや献立の開発と原価管理、そしてついには売り上げと収益管理まで担当するようになった。自ずと対前月の分析なども見ることができるようになり、板前の枠を超えて、経営を学ぶという領域に入ることが出来た貴重な時期。「ここで店長に管理の仕事をやろうと言われていなければ、いまの私の存在はない」とまで言い切る出来事。そして、その働きぶりが認められ、ついに念願の「魚貝三昧 げん屋」へ配属が決まる。

―岡田専務:ようやく辿り着いた「魚貝三昧 げん屋」でしたが、本社が私に期待した手腕は板前としての才能ではなく、店の再建担当という任務でした。ずっと憧れていたお店は大赤字へと転落を遂げた不採算店舗。当時はかなりショックを受けました。

会社からは「げん屋」を立て直せなければ店は廃店、そうなればうちの会社は上場も難しくなるかもしれない!とストレートに伝えられたという。この辞令が降りてきたタイミングは物語コーポレーションの上場直前期。当時の岡田専務は上場という言葉は良く分からないが、店を潰す事は働く人にも、お客様にも大変な迷惑を及ぼすことになると思い、とにかく必死で尽力したとのこと。

―永尾まりや:再建はどのように着手されたのでしょうか?

―岡田専務:私の中にあった「ダメな店あるある」を3ヶ月間、徹底して改善しました。

岡田専務が唱える「ダメな店あるある」とは、業績の悪い店舗で従業員のモチベーションが低下した場合に起こりやすい現象の典型パターン。代表的なものとして「お店の清掃が行き届かなくなる」、「従業員同士の悪口が飛び交う」、「自分たちのサービスレベルの落ち度を棚にあげて、お客様のせいに転嫁する」など。業績の良い店では、この手の現象はほとんど発生しないという。

―岡田専務:自分が憧れていたお店でもあったので、なんとか店を良くしたいと、従業員とアルバイトのひとりひとりと話をしました。

―永尾まりや:どのような話をされたのですか?

―岡田専務:お店は売上と利益がないといい状態を保てない。みなさんの環境もお給料を良くすることもできない。今のみなさんの意識と行動は売上と利益の達成に貢献できているものなのか考えてみていただきたい。そうでないならば、その達成を阻害する要因って、一体なんだと思いますか?と話合って一緒に改善をすることにしました。まずはみんなで掃除をして、店を綺麗にして、再び自分たちの働く場所にプライドを持とうと呼びかけました。

―永尾まりや:独立時代の板前としての下積みは活かされましたか?

―岡田専務:当然ながら、お客様が一番喜んでくださるメニューに見直しをしました。豊橋という場所は遠州灘の海に面し、且つ山の幸にも恵まれている稀有なエリアです。そして、自動車などの関連会社も多いことから、全国各地そして世界中からも出張でお越しになられるビジネスの街でもあります。であれば、出張で立ち寄ってくださる方々に思う存分ご当地の幸をご提供した方が、お客様の期待値も満足度も高い。そうやって、メニューと献立、サービスの改善を全力で実施した結果、従来月商800万円だったお店は月商2200万円の数字を成し遂げることができました。

そして、「店長、○番テーブルのお客様が本日お誕生日のようです。なにか喜んでもらえるサービスができませんか?」とスタッフから提案があがるようになった時に「この店は本当に強くなった」と確信しました。すでに「ダメな店あるある」は嘘だったかのように消え去り、コロナ直前まで店は13年連続売上アップ。さらに学校の卒業以外の従業員の退職ゼロという嬉しい成果も出すことができました。

―永尾まりや:見事に過酷な任務をクリアされたのですね!

―岡田専務:おかげさまで、お店も潰れず、会社も上場できたという物語が完成しました。

先輩から店舗経営のイロハを学ぶように命じられ。さらには会社から不採算店舗の立て直しを実行せよと命じられ。まったく板前とは関係のない仕事をこなし続けた結果、独立の考えはすっかり遠のき、チームビルディングの楽しさと力強さという組織マネジメントの仕事に惹かれていく。そしてこの「げん屋」での成功体験が岡田専務の「再建家」としての第1号案件となり、その後のキャリアと名声を加速させていくのだった。

業態開発デビュー戦、デスクに置いたメモ書きが90店舗の新業態ブランドに!?

―永尾まりや:その後のキャリアで強く印象に残っているエピソードはありますか?

―岡田専務:今では会社からの評価だったのだと受け止めているのですが、当時私は「魚貝三昧 げん屋」の店長と料理長を兼務しながら、他の和食2店舗のスーパーバイザー(責任者)を任されるという異例の業務をしていました。

その担当していた1店舗の夜の業績が悪く、これもある意味再建ということになるのですが、なんとか売上を伸ばしたいと考え、従来しゃぶしゃぶのみだった食べ放題コースにお寿司も加えられないか?と本社のデスクでテストメニューを考えて、それを忘れないようメモとして書き残していたら、それをたまたま見た上司が「これ、とても面白い。これで新しい業態をつくればいけるだろうから、企画資料をまとめて提出してほしい。」とだけ言い残して、その場を去っていきました。

―永尾まりや:その時の心境はいかがでしたか?

―岡田専務:「え?真面目におっしゃっていますか?」の一言です。

その後、企画資料の作成を経て、岡田専務の業態開発のデビュー戦となる新業態「寿司・しゃぶしゃぶ ゆず庵」は、めでたく経営会議で承認された。しかし、8000万円で提出していた出店予算は、初陣で気合が入り、こだわりすぎた結果2倍の1億6000万円のコストをかけるという事態になってしまう。

―永尾まりや:その時、本社からお叱りの声はありましたか?

―岡田専務:相当覚悟をしていたのですが、上司から「予算を2倍使ったのなら、2倍以上稼げるようなお店を目指して欲しい。」とだけ言われました。物語コーポレーションって、いい会社なんだなぁって思いました。

―永尾まりや:しゃぶしゃぶに、お寿司の食べ放題を加えるとお子さん連れが増えるイメージが湧きます。

―岡田専務:まさにそのとおりです。シニア、家族連れ、若者の3世代の方に喜んでいただけるお店をコンセプトにしました。2倍以上稼げるようにという上司の助言も達成するために、幅広い層にお越しいただけるお店を目指した結果、お客様からのご評価をいただく事ができ、現在「寿司・しゃぶしゃぶ ゆず庵」はおかげさまで90店舗以上の出店を実現しています。

―永尾まりや:お店の業績を改善したいと強く願った行為が生み出した奇跡のメモの物語。また素敵なエピソードをお聞きすることができました。

こうして、「再建家」の視点でまた新たな成功をおさめた岡田専務は「個のチカラ」、「チームビルディング」に加えて「チェーン展開ノウハウ」を体得し、次のステージへと突き進む。しかしこの後、想像を越える絶望の渦に巻き込まれていくとは、当時の本人は知るよしもなかった。

ナビゲーター/永尾まりや 取材/渡辺恵伶奈(Beef CREATOR 編集部) 取材協力/工藤実衣菜(Beef CREATOR 編集部|MIIand) 文章・全体構成/毛利努(MORRIS STRATEGY & DESIGN CONSULTS,LLC.